京都大学 大学院 理学研究科 地球惑星科学専攻、理学部 地球惑星科学系

MENUMENU

水と海の話

秋友和典 (地球物理学教室・教授)

はじめに

 水は我々人間のみならず、地球上に生息する生物の存在に欠かすことができないものです。 体内にあって生命を維持するというだけではなく、生物を取り巻く自然環境の形成・維持にも大きな役割を果たしています。 地球上の水の大部分(97%以上)は海水として存在し、風や熱あるいは天体の作用を受けて絶えず運動しています。 海の流れは熱や水を地球規模で輸送することで、地球の自然環境を形成・維持しているのです。
 水(海水)には他の多くの流体(液体)とは異なる特異な性質があり、それは我々の日常でも注意すれば観察することができるものです。 ここでは身近な水の性質から話をはじめ、それが地球規模での海洋循環にどのように関わっているかについて話します。

水の性質

 よく知られている水の性質とは、大気圧下においては約4℃で最も重くなる(密度が高くなる)ことです。 多くの液体は温度が下がるともに収縮して密度が高くなるのに対し、水は4℃以下になると膨張して軽くなります。 さらに冷却を続ければやがて氷となりますが、ご存知のように氷は水よりも軽い性質があります。
 図1は異なる温度を持つ水の混合実験を、コンピュータを使って行ったものです。 2℃と6℃の水はほぼ同じ重さ(密度)であり、隣り合わせて置いてもすぐには運動(流れ)が生じません。 やがて熱伝導によって中間の温度(4℃)を持つ水が両者の境界付近に形成されると、その水は元の水のどちらよりも重いため、器の底に沈み始めます。 その後も4℃の水は形成され続け、底に溜まってどんどん厚くなります。
 10度暖かい水で同じ実験を行うと、様子はかなり違ったものになります(図1右)。 16℃の水は12℃の水より軽いため、開始直後から前者が後者の上に乗り上がるように流れが生じます。 その時、両者の境界には渦巻きができて、効率よく水を混合します。 混合でできたおよそ14℃の水は16℃の水より重く12℃の水より軽いため、中間の深さに溜まります。


図1:隣り合った水の混合過程
(左) 2℃と6℃の水。上から初期、1分、12分、30分後。 (右) 12℃と16℃の水。上から初期、15秒、45秒、10分後。緑色はおよそ4℃(左)、14℃(右)の水である。

 4℃の水が沈むという現象は、条件が整えば、身近な自然の中に見つけられることがあります。 湖の水温とそれに流れ込む河川水の水温が4℃を挟んで異なっていれば(春や秋に起こる)、境界で混じった水は、水槽の中で起こるのと同じように湖底に沈みます。 日本での観測例はあまり多くありませんが、ロシアのバイカル湖やカナダのカムループス湖ではしばしば観測されています。
 同様の現象は海でも起こり、地球規模での海水循環と分布に重要な要因として働いていると考えられています。 海水にはおよそ35‰の塩類が含まれていますが(‰は千分率)、上で説明した真水と同様の性質を持っています。 図2は海水密度を水温と塩分の関数として示しています。 図に引かれた曲線は等密度線で、これから水温が高く塩分が低いほど海水密度が低くなる(水温が低く塩分が高いほど海水密度が高くなる)ことが分かります。
 まず、大気圧下での密度に注目します(図2左)。 図に黒丸(●)で示す水温と塩分を持つ二つの海水は同じ等密度線上にあるので同じ密度です。 両者を同じ量だけ混合してできる海水は平均した水温と塩分を持ちます(図中の赤丸)。 しかし、その密度は元の海水より高くなることが、混合水が元の等密度線から下にずれていることからわかります。 この性質はさきほど説明した2℃と6℃の真水の混合の場合と同じです。このような海水(水)の性質は一般に キャベリング と呼ばれています。


図2:TSダイアグラム
水温T(縦軸)と塩分S(横軸)に対する海水密度の値が等値線で示されている。 (左) 大気圧下、(右) 水深約2000 m。高温・低塩なほど、また圧力が低いほど、海水密度は低い。

 これまで説明しませんでしたが、海水あるいは水の密度は、圧力(深さ)によっても変化します。 圧力が高いと収縮して密度が高くなるのは空気と同じですが、その圧縮率は水温が下がると高くなります。 図2右は圧力が20 MPa(水深で約2000 m)の場合のTSダイアグラムです。 さきほどと同じ海水をこの圧力で比べると、低温の海水の方が高密度になることがわかります。 この性質が水(海水)のもう一つの性質であり、 サーモバリシティ と呼ばれています。 (サーモバリシティは圧力とともに海水の熱膨張率が大きくなる性質とも言えます。) サーモバリシティもバイカル湖などの深い淡水湖の鉛直循環に大きな影響を与えています。

ウェッデル海の対流

 以上で見てきた水(海水)の性質は海洋の底・深層水の形成やその地球規模での分布に影響している可能性が近年の研究によって明らかになってきています。 というのも、キャベリングやサーモバリシティは極域の海面付近で(水温が低く圧力が低いと)効果が大きいからです。ここではその一例を紹介します。
 図3に示すのは南極ウェッデル海で冬季に観測された水温、塩分の鉛直分布です。 ウェッデル海は南大洋(南極海)の大西洋の経度にあります。 この海域は冬季に海氷で覆われますので、海面から100 mぐらいまでの混合層と呼ばれる層の水温は約-1.9℃とほぼ海水の結氷点になっています(海水の結氷点は真水に比べて低くなります)。 一方、混合層の下には比較的暖かい海水があります。 水温だけで考えると混合層の海水の方が重くなるはずですが(海水は真水と違い水温が低いほど重い)、混合層の塩分が低いためふつうは混合層の海水の方が軽く、このような水温・塩分分布は安定に存在しています。 ところが、冷却がさらに進むと、結氷時に海水から放出される塩分が混合層の海水密度を上昇させ、やがて混合層水の沈み込み(対流)が発生します。


図3:南極ウェッデル海における水温・塩分の鉛直分布
厚さ100 mほどの冬季混合層の海水は低温・低塩であり、その下にある高温・高塩なウェッデル深層水より軽い。

 図4はこのような状況を数値モデルによって再現したものです。 初期に100 mの厚さを持った混合層の塩分は結氷によって高まり、19日目には、混合層の底から下層へ沈み込む海水が見られます。 この海水は混合層水と下層水がその境界面を通して混合することで生まれ、キャベリング効果によって元の水より重くなっています。 時間が経つと沈み込みはどんどん深くなり(サーモバリック効果)、海水が失われる混合層は薄くなっていきます(23, 29日目)。


図4:数値モデル実験における水温分布の時間変化
(a) 初期、(b) 19日目、(c) 23日目、(d) 29日目。横軸は水平距離を、縦軸は深さを表している。暖色が高温で寒色が低温である。

 このような沈み込みが現実に起きていることは近年の観測結果でわかるようになりました。 図5は水温、塩分の鉛直分布を、モデル実験と観測結果で比較したものです。 水深400~500 m付近までの水温、塩分が低下していることや細かな変動がみられることなど、両者は良く似ており、現実にもモデル実験と同様のことが起きていたと判断できます。


図5:南極ウェッデル海の水温・塩分の鉛直分布
(a) モデル実験結果(29日目)、(b) 観測結果 (World Ocean Database 2013による)。 冬季混合層の下には深層水と混じり合った海水が両方の分布に見られる。 (a)に描かれた点線は初期の水温、塩分分布。 (b)は夏季の観測であるため、表層50 m付近までは比較的高温、低塩な夏の海水で占められている。

 混合、沈降過程が進行すると、結氷点より暖かい下層の海水が海面まで達し、冬であっても海氷を融かし始めます。 海氷が融けてしまったところは ポリニア と呼ばれる開水域となって観測されることがあります。 2017年9月には、およそ40年ぶりに大規模なポリニアがウェッデル海で発見されました(ウェッデル・ポリニア)。 興味のある人はJAXA地球観測研究センターのホームページ(https://ads.nipr.ac.jp/vishop/\#/monitor/)をのぞいてみてください。
 図4,5に示した対流はせいぜい500 mの深さまでしか達していませんが、過去には3000 mの深さまで及ぶ対流(深層対流)が起きていたことを示す観測データもあります。

おわりに

 ここで紹介した以外にも、キャベリングやサーモバリシティは南極海域や北大西洋で起こる底・深層水の形成過程に深く関わっていると考えられ、日々研究がつづけられています。 我々が日常でも観察できるような小さな現象が地球規模の底・深層水形成にまで影響を与えているかもしれないのです。 海の複雑さ、奥深さと同時に身近さを感じずにはいられません。

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